生きるよすがとしての雑記

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。

哲学とは

哲学とは何でしょうか。

 

現実の問題に対する答えでしょうか。

人生の役に立つ学問でしょうか。

それとも、難解な言葉を使って一般人を煙に巻く道具でしょうか。

 

人間はある時から自我を持ち、疑問を持ちます。

 

ある瞬間、ふと、気づくのです。今まで自分の目から見えるもの、自分が感じるもの、自分が聞くものがこの世界の全てだったのに、自分の外側に知らない世界があると。

 

個の中の自分からではなく、全体の中にある1個体としての自分の存在を感じ取り、自分を俯瞰して認識したとき、はじめて人間的な問いを持つのです。

 

私が生まれたこの世界はどうなっているのか?そもそもなぜ生まれたのか?人間とは何か?善とは?悪とは?なぜこんなことをしなくてはいけないのか?この世界のルールは誰が作ったのか?分からない。分からないけど従うしかない。

 

だけど・・・なぜ?

 

人間以外の動物はこんな疑問は持ちません。

低次の動物は精神的能力の限界のために単一の刺激特徴によって行動が引き起こされています。考えて動くのではなく反応して動いているのです。生物というよりは機械的な物理現象です。

 

しかし人間もまた同じ動物です。

ホモ・サピエンスは霊長類に属する一つの種であり、その他全ての動物と同じように、生物学の法則に支配され、同じ物理の法則に支配されています。

人間性とは動物性のなかの一つであって、それ以外のなにものでもありません。

確かに人間は他の動物とは違った特異な動物です。しかし、ほかの動物も、それぞれの独自性という点においては特異なのです。

 

こんなこと当たり前かもしれません。だけど、当たり前のことこそ一番大事なことなのです。真に考えることをせず、盲目的になっていると当たり前のことさえ見失ってしまいます。それだけでなく、間違っていることさえも当たり前になってしまい、当たり前であるがゆえにあえて疑うこともしなくなるのです。

 

では、全てのことに疑問を持ち、とことん突き詰めて考えれば答えが出るかと言われれば、そんなことはないでしょう。哲学はそのような答えのない問題を扱います。

 

哲学とは既成の問題に対する答えではありません。

誰も気づかなかった領域に問題があることを発見し、その神髄を共有することが重要なことなのです。その哲学上の問題を本当の意味で理解できたのなら、それを批判することも乗り越えることも不可能になります。もしそれができたというのなら、そもそも問題を理解していません。

 

自然科学とは違って収束する結論はないかもしれません。永遠に解決されことはなく、どれだけ時間を費やしても終わることがない無間地獄かもしれません。しかし、哲学する人間とはそうしようと心に決意して始めるのではなく、どうしようもなくそうせざるをえなくなったがためにそうするのです。